ラグビーの大西ジャパンが●●ジャパンの始まり

ラグビーの「大西ジャパン」がなんとかジャパンの始まり

スポーツで日本代表のことを○○ジャパンと言いますよね。
この始まりはラグビーの大西ジャパンと言われてます。

 

どんな経緯があったのでしょう。
そのあたりを調べてみました。

 

 

全日本では「寄せ集め感」があるのでジャパンにした

○○ジャパンと名前がつく前にも日本代表チームはありました。
日本代表として、他の国の代表と戦ってたんですね。

 

呼び名は「全日本」。
年配の人には懐かしい響きがあり、プロレスファンには親しみを感じさせる響きですね。

 

ラグビーもそうでした。
「全日本」という名称で海外のチームと対戦していました。

 

そんな中、1966年にラグビーの日本代表監督になった大西鐡之祐が、こういったそうです。

「君らは日本を代表して戦うんだ!
 よって、これから『ジャパン』ということにする。」

全日本という呼び方では寄せ集め感が出てしまうからという理由でした。
ひとつのチームとしての『ジャパン』というわけです。

 

当時の日本のラグビー界は大学のチームを中心に回っていました。
これが全日本となったときに障害になったんですね。

 

早稲田の選手は早稲田のやり方、明治の選手は明治のやり方、法政の選手は法政のやり方でプレーしようとするからです。これではチームとしてのまとまり、戦術がありません。

 

実際に海外のチームとの対戦でも、単独チームでは勝利(もしくは善戦)してるのに、全日本となると勝てないという状態が続いていました。

 

そこで、大西監督が「ジャパン」にしたのです。
呼び方だけではありません。ジャパンの戦術も統一

 

日本人の特性にあわせた「展開・接近・連続」というものです。
この戦術を用いた大西ジャパンの成績がこちら。

  • 日本代表 23-19 オールブラックスJr(1968年)
  • 日本代表 19-27 イングランドXV(1971年9月25日)
  • 日本代表 3- 6 イングランドXV(1971年9月29日)

オールブラックスJrとは、23歳以下のオールブラックス(ニュージーランド代表)のこと。
しかも、現地での戦いで勝ったのです。

 

日本代表が世界を驚かせた一戦となりました。

 

イングランドとの戦いは日本でのもの。
こちらもラグビーの母国に善戦したと大きなニュースになりました。

 

ちなみに、両チームともノートライとなった9月29日の試合で日本の得点を挙げたのは山口良治。スクール・ウォーズ「滝沢先生」のモデルとなったプレイヤーです。

 

こうした結果から『ジャパン』が定着したんですね。
日本最初の「なんとかジャパン」である大西ジャパンが誇らしく思えてきました。

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