
日本代表とイングランド代表がはじめてテストマッチを行ったのは1971年でした。
日本代表がまだ全日本と呼ばれて頃の出来事。
当時のラグビー界では弱小国の日本は見向きもされなかったのですが、1968年に日本がオールブラックスJr.(23歳以下のニュージーランド代表)に23-19で勝利したことから、イングランドが協会100周年記念のツアーで日本と対戦することになりました。
オールブラックスJr.に勝ったとはいえ、日本にとってラグビーの母国イングランドは格上というか雲の上のような存在。イングランドにとっても、日本は本気になる相手ではありませんでした。
このときの日本代表(全日本)は大西ジャパン。ラグビーに限らずほかのスポーツでも監督の名前を取って「○○ジャパン」と言いますが、この「○○ジャパン」の最初が大西ジャパンでした。
大西鐵之祐監督は「体格で劣る日本が外国と戦って勝つにはどうすればイイのか」を突き詰めた名将。
その答えが「接近-展開-連続」でした。
攻撃での「接近-展開-連続」は、敵に接近してすれちがいざまに抜く、スピードを活かすためボールを外に展開する。こうした攻撃を連続して続けるといったものです。
この「接近-展開-連続」をチームの方針として、オールブラックスJr.に勝利。
そして迎えたイングランド戦となります。
日本代表vsイングランド代表の第1戦は1971年9月24日、花園ラグビー場で行われました。
9月でしたが、この日は気温が30度近くあり、日本特有の湿気も伴い、イングランドには厳しい環境。
この地の利も活かして、日本代表(全日本)は前半を9-10で折り返します。
大善戦。さらに後半に入り、トライを取った日本は19-19と追いつきます。
このときに日本はカンペイというサインプレーでトライを取りました。日本代表が合宿を行った長野県の菅平(すがだいら)を「カンペイ」と音読みして名付けられたプレーです。のちに「KANPEI」と海外でも知られるようになります。補足…カンペイを最初に考案したのは大西鐵之祐監督が指揮を執っていたときの早稲田大学です。
ただ、第1戦は最後に力尽き19-27で敗戦。
4日後の第2戦を迎えることになります。
第2戦はナイターでの試合。第1戦でイングランドを苦しめた暑さ・湿気はありません。
また、19-27と善戦したことで、イングランドに日本への油断もありません。
最初から本気の、フルパワーのイングランドがこの日の相手です。
結果は双方ノートライの3-6。
敗れはしましたが第1戦以上に日本がイングランドに喰らいつきました。
このときの3点は、山口良治のプレースキックによるもの。
TVドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルになった「泣き虫先生」こと山口良治先生(ドラマでは滝沢先生)が決めた得点でした。ドラマ「スクール☆ウォーズ」のオープニング映像(ヒーローの曲が流れてる背景映像)でジャパンのジャージーを着た滝沢先生が外国人にタックルしているシーンやプレースキックを決めているシーンがありましたが、あれはこのイングランド戦を意識したものでしょう(YouTubeで観られます)。
日本ラグビーの歴史、物語が脈々とつながっていますね。
もう、流れてきてませんか。
♪フッ、フッ、フッ、フッ、フッ〜、って、ヒーローの曲が!
さぁ、イングランド戦。50年を超えた悲願達成へ。
ジャパンへの愛で、奇跡を信じましょう。
日本時間だと朝4:00(18月)キックオフなので、自宅でひとりでTVを観てると孤独が心を閉じ込めるかもしれませんが、一人きりじゃないよ。観てる人は日本中にいる。
胸に眠るヒーロー、揺り起こして、応援しましょう!